「家庭教師にお茶や食事って必要?」問題について

今回のテーマは家庭教師に「お茶やお菓子、食事を出す必要はあるのか?」という問題についてです。保護者の方に意外と頭を悩まされている方も多いのではないでしょうか(あとあと保護者さんに聞くと、たいていの方は悩んだ経験があるようです)。出す派、出さない派、私の肌感覚では半々です。このことについて、家庭教師の私なりの考えを述べたいと思います。

お茶・食事等は不要。出していただいたものは、ありがたく頂戴します。

基本的に、必要な飲み物は持参しますし、食事はとってからお伺いします。多くの家庭教師がそういったスタンスだと思います。(「一切受け取らない」というポリシーの教師もいます)

指導料を頂いている以上、それに加えてご負担をかけるのは…という家庭教師側の思いもあります。また、保護者側からすると、「一度出してしまうと次から出さないわけにいかなくなる」ということも。たしかに、出さないと決めてしまった方が楽ですよね。

ただし、それで話が終わるなら、保護者の皆さんの頭を悩ませるような問題にはならないはずです(全国津々浦々、何十年も前から続いています)。慣習や考え方は少しずつ変化していくものですし、この問題は永遠のテーマといえるかもしれません。

今回はお茶等をお出しいただくことについて、家庭教師の側からみた視点を3つ、お話ししたいと思います。いただく側、家庭教師の側から言うのは心苦しい部分もあるのですが。

「茶飲み話」を通じて関係性をつくる。

お菓子やお茶を頂きながらだと、自然と学校の出来事や趣味のことなどを話題におしゃべりすることができます。それをきっかけに打ち解けて、質問など聞きやすい関係になり、指導上もプラスに働く。そうことは、経験上、実際にあります。

指導中にお茶がなくても、合間に雑談ができないわけではありません。そうすると、それまでの授業内容とのギャップでどうしても「取って付けたような空気」になります。一緒にお茶などを囲むことで、自然と打ち解けた空気になることは保護者の皆さんもご経験があることと思います。自分も小学生のとき空手を習っていたのですが、年に一回、その年の最後の稽古の終わり、輪になってジュースやお菓子を配り、みんなで食べるイベントがありました。それに参加することで一気に道場の一員になれたような気がしたのを覚えています。

「お茶を出す」慣習を子どもに伝える。

日本には長い間、来客時にお茶や軽食を提供するという慣習(ならわし・行動様式)がありますが、現代ではこの日本的な慣習は徐々に変化しています。たしかに、必ずしもお茶を出す必要はないと考える人は、少しずつ増えていると感じます。私自身も現代に生きる一員として、こういった日本的な慣習に対して否定的なイメージを持つこともあります。

私は高校生の時に家業の家具屋をアルバイトとして手伝い、トラックの助手席に乗って家具を運んだしていた経験があります。そこで、お茶などを出していただいた原体験があります。そのため、私自身、我が家に来客(とくに仕事で家に来てくれる人)があると、缶コーヒーやペットボトルのお茶を出すのが常です。

どのようにして行動が習慣化するか、それは人それぞれです。家庭教師は、多くの子どもにとって「仕事で自分に会いに家に来る初めての大人」だと思います。子ども学校にいる時に訪問する業者さんなどと異なり、その人にお茶を出すかどうか、子どもは必ず見ています。家庭教師にお茶を出すかどうかは、その子にとって来客時の行動様式の「はじまり」になる可能性があります。「お茶を出す」という日本的な慣習を子どもに伝えたいかどうか、を一つの判断基準としてもいいかもしれません。

子どもの「嬉しい」を増やす。

家庭教師先でおばあちゃんが家にいるようなお宅では、高確率でおばあちゃんがお茶やお菓子を出してくれます。そこで「いえいえ、お構いなく」と言うと、きまってつまらなそうな顔をされますし、「ありがとうございます。いただきます」と受け取ると、とてもうれしそうな顔をしてくださいます。私も、家に来た業者さんに缶コーヒーなどを渡したとき、笑顔で受け取ってくれると嬉しくなります。

「何かをあげて、受け取ってくれると嬉しい」という感情は、普遍性の高い感情です。

もしお茶を出してくださるなら、生徒さまご本人に出してもらうようにすると良いと思います。「何かをあげて、受け取ってくれると嬉しい」という感情が芽生えるかどうかで、幸福度にかなり差が出ると思うからです。

まとめ

ここまで、どちらかというと「出した方が良いことがある」というスタンスで話してしまいましたが、出さないことに対して失礼ということは全く思いませんし、モチベーションも一切下がらないということは強調しておきます。

家庭教師は1週間に1回くるもの。お茶を出し続けるのであれば定期的に続けるのが負担になるのは確かです。たとえば、最初の1か月だけ出す、月に1回報告会がてら出すというのも、ありかもしれません。